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林省之介マニフェスト公開ぜひご一読を! 連載中「男の一分」はこちら 怒りの無所属出馬へ!政治のウラ話、実名挙げて全部話したるデ! 年金怒りのメッセージはこちら ●林事務所よりご連絡● 公示日の7月12日(木)、10時より出陣式を行います! 場所:日本一事務所前 7月12日はポスター貼り、証紙貼りなど膨大な人員が必要です。1,000人いても足りません。どうぞ12日のボランティアでのお手伝いをお願いいたします。 ボランティアサポーター 募集中!! ①街宣車の運転手 ②ポスター貼り ③電話かけ ④ビラ配り ⑤事務所内軽作業など お問い合わせはこちら! ●林省之介略歴● 【現在の役職】 大阪芸術大学客員教授 日本拳法全国高等学校 連盟会長 【主な経歴】 関西大学文学部教授 大学受験ラジオ講座講師 衆議院議員(一期) 【主な著作】 「江戸小咄の笑い」 「林の楽らく古文」 「林のニュー源氏物語」 ●連絡先● 日本一選対事務所 〒542-0073 大阪市中央区日本橋 1丁目13-20 国立文楽劇場向かい tel:06-6635-1556 fax:06-6635-1558 mail:osaka884@excite.co.jp 長堀橋後援会事務所 〒542-0082 大阪市中央区島之内 1丁目22-20 堺筋ビルディング10階 tel:06-4704-5051 fax:06-4704-5053 mail:osaka884@excite.co.jp メールはこちらから ホームページはこちら mixiをはじめました。 カテゴリ
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by osaka884
| 2007-07-02 16:59
| 参議院選挙・その他選挙
平成十三年四月二十四日、全国党員投票の結果をふまえ、自民党所属衆参国会議員による総裁選投票が行われた。亀井候補を降ろして志帥会が小泉支持に回ったので、圧倒的大差で小泉氏の当選が決まった。
「自民党をブッ壊す!!」 とわめき、パフォーマンス総裁選を展開して、まさにポピュリズムを演出して総裁となった小泉氏。しかし、この直後にとんでもないことを言ってのけたのである。総裁選が終了した直後の朝日新聞のインタビューで、志帥会と政策合意して支援を取り付けたことについて尋ねられ、 「あれは選挙に勝つためのもので、方便だ」 とうそぶいた。 権力を手に入れるためなら手段を選ばない。ウソも人を騙すのも平気。これを公言したわけである。両派が政策合意した経済政策はことごとく無視して全く聞き入れず、志帥会同志の大きな怒りを買ったのである。 私はこんな彼の行為を、人間として断じて許されないことだと考える。こんな信義にもとる男を総裁にしてしまった。私達志帥会の責任は大である。 「自民党をブッ壊す!!」 とわめいた彼は、自民党を壊したのではなく、平成研(橋本派)・志帥会(江藤・亀井派)など、他派閥に抵抗勢力のレッテルを貼り、ブッ壊しただけ。 そして自分の派閥である清和研(森派)を拡大しただけなのだ。小泉氏が総裁になる前、党内第三派閥だった森派(現町村派)は、今やダントツの第一派閥となり、一時期だったが第二派閥であった志帥会は、今や第五派閥と壊滅寸前となっている。 「改革だ!!改革だ!!」 と大騒ぎしてやったことは、残念ながら、昔ながらの単なる派閥の勢力拡大に過ぎない。 そしてグローバルスタンダードの名のもと、米国が押し付けるルールを全て鵜呑みにして、国家による福祉・公共サービスの縮小と、大幅な規制緩和、市場原理を絶対視した景気刺激策が推進された。この政策の結果について、良い面、悪い面、様々な見方があるだろうが、私は、まさに日本をアメリカに売り渡すことにほかならないと考えている。このことは後日申し上げることにしましょう。 #
by osaka884
| 2007-07-02 08:01
| 連載 「男の一分」
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by osaka884
| 2007-07-01 16:40
| 参議院選挙・その他選挙
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by osaka884
| 2007-07-01 16:05
| 参議院選挙・その他選挙
~平成15年11月からの雌伏の時期と、無所属出馬までの経緯~
平成15年の第43回総選挙において、私はコスタリカ方式により大阪10区ではなく比例近畿ブロックで単独立候補することが決まった。本来、第43回総選挙では私が大阪十区の候補者になる約束を交していたが、(党執行部と確認書を交わしていた)平成14年に辻元清美代議士の議員辞職に伴う補欠選挙で同じ自民党の松浪健太君が当選したため、大阪十区の候補者を松浪君に譲る代わりに、当選可能な順位にするという約束で、私は比例回りを了承した。 ところが第43回総選挙の公示日前夜、島本町での会合で松浪健太君の応援演説を終え、支援者が営む店で夕食中の私に、驚きの電話が入った。電話は近畿の自民党某県連幹部からだった。 「大変や!オマエ比例順位、40位になってるぞ!」 「えっ?4位の間違いでっしゃろ。近畿で4人しか純粋比例候補はいないんですよ」 「いや。40位で間違いない。今党本部から流れてきたFAXを見て電話しとるんや」 アタマの中が真っ白になった。近畿ブロックでは私を含め、4人の現職代議士が純粋比例候補として了承されているはずだ。混乱しながらも、すぐに派閥の領袖である亀井静香代議士に確認の電話を入れた。 亀井代議士は何の説明も無く、ただ「スマン!!」を繰り返すばかりだった。 私は当時、現職の自民党衆議院議員でありながら、落選確実な名簿順位40位に「降格指名」された。 怒り心頭に発する間もなく、党執行部から事実上「公示日前日」にバッジをはずされた形になり、当然の如くこの選挙に落選した私は、国政復帰を目指して翌平成16年の参議院選挙に全国比例区での公認を申請した。 当時、私の所属する志帥会(派閥)の長だった亀井静香代議士が必死になって公認を党に迫ったが、町村信孝総務局長一人が頑なに反対し、公認はかなわなかった。 その後も動けるだけ動いたが、ついに、平成16年4月13日亀井代議士本人より電話が入った。 「スマン!今回はどうにもならん、諦めてくれ。次(3年後)は必ず(公認を)取るから。」 私の平成16年の参院選は、終わった・・・。 それからの2年余り、引き続き雌伏の時を余儀なくされた私は、再び全国比例区での立候補にむけた活動を継続していたが、最も大きなショックだったのは、同期生永岡洋治君の自殺と、平成17年の第44回の総選挙(いわゆる郵政解散)前に、私が所属する志帥会(旧江藤・亀井派)が分裂したことである。 当時、亀井・平沼両先生を中心に郵政法案反対の立場を通してきた数名が、本会議採決で裏切り行為に出た。後に亀井先生が漏らしたところによると、谷津義雄・西川京子の2名の造反が特に大きかったらしい。かくして志帥会は、党執行部にとって疑心暗鬼の対象となる派閥となり、郵政法案に反対した者に小泉総裁は公認を出さず、同じ選挙区に刺客候補まで送り込んだことは、読者の記憶に新しいことでありましょう。 これまでの経緯を知る同期生(平成12年初当選組)28名全員が署名捺印までして、党幹部に要請してくれた結果、青木幹雄党参院会長、片山虎之助党参院幹事長も感ずるとこがあったのか、「林君は何とかしてやれ。」との声も掛かったようである。 そして、平成18年6月13日、私は自民党総務局長遠藤武彦代議士に呼び出された。 彼の言うには、 「君の公認は自分が責任を持ってやってやる。君は良い友人を持っていて幸せな人だ。何とかお盆前には発表してやれそうだ。ただし、文章や文字にして後援会などに通知するのは待ってもらいたい。もちろん口頭でなら、どれだけ言い廻ってくれても良い。」 とのことだった。 しかし、同じ年の9月に安倍総裁の下で自民党が新しい執行部になると、前執行部から得られた公認内定など何処吹く風と言うが如く、正式な公認がなかなか出ない。 そうこうしているうちに、国政では郵政造反組の復党問題が勃発した。 最近の自民党は幹部の発言や約束事が支持率を気にしてコロコロと変わる。造反組の復党も当初は参院選の後にすると言っていた中川幹事長が、参院選での党の雲行きが怪しいのと、参院サイドの圧力に負けた形で、造反組と称される議員に対して、郵政民営化支持と復党願いの提出という高いハードルを課すことによって認めようとした。これに真っ向から反発したのは、記憶されている方も多いと思うが、平沼赳夫元経済産業大臣ただ一人だった。 「郵政民営化反対で当選した自分は、屈辱的な誓約書にサインは出来ない。」 と、筋を通されたのである。まさに「信念の男平沼赳夫」に、私は拍手したものである。 造反組の復党問題にケリが付いたから、いよいよ今度は(参院選に出馬する)自分たちの番だと、私は何度も東京に足を運んだ。青木参院会長、片山参院幹事長、伊吹志帥会会長島村志帥会名誉会長、河村志帥会事務総長、谷津党選対総務局長、中川昭一政調会長等々、頭を下げまくって懇願した。また、手紙も書いた。安倍総理、中川幹事長、青木参院会長片山参院幹事長、中川昭一政調会長、森元総理。これと思う方々に片っ端から書いた。すぐに返事を下さったのは、森元総理だけだった。これには心底感動した。 また年末には関大校友会会長はじめ支援者の方々も、党本部や志帥会にお願いに行ってくださったりもした。 しかし、寝ても覚めても、年が明け平成19年になっても、私には何の沙汰もなかった。しかもこの間には、『安倍総裁のお友達』という理由で、米田健三・衛藤晟一元衆議院議員の2名のみが参院比例区で公認された。この間私は十数度にわたり、永田町に足を運んで懇願したが聞き入れられず、ついには 「中川秀直幹事長が強固に反対しては、もはやどうにもならない。」 という弁解を聞くばかりだった。 平成19年3月2日に同期生と中川幹事長の懇談の席で再度、私の公認を懇願してくれたが 「君らはしつこすぎる。いい加減にしろ。林を公認しないのは、(関大校友会をはじめとする)支持団体の規模が小さいからだ。これではとても当選できない。」 との一点張りだという。後日コッソリ聞かされた話だが、初当選同期組のうち、幹事長と同じ派閥の吉野正芳・高木毅・松野博一君などは、 「いい加減にしないと、君らもどんなことになるかわからんぞ!」 と恫喝されたらしい。 何もかもが、平成16年の時と同じだった・・・。 あの当時は 「町村が!町村が!反対するからダメなんや。」 と言われ、今回は 「他はみんなヨシとしているが、中川幹事長が反対してどうにもならん。」 と、皆が口を揃える。 今や自民党は、党内民主主義が機能している国民政党ではなくなってしまった。 選対委員のほとんどがヨシとしているのに、強力な権力を持つ幹事長が一人賛成しなければどうにもならない。まさに党内が独裁的体質になってしまっている。なぜこれほどまで頑迷に中川秀直幹事長は私の公認を反対するのだろうか? このことがある程度ご理解いただける政治の世界のうすら汚い裏事情は、引き続きこのブログでお知らせすることにしたい。 おそらく、自民党の公認は、もう無理だろう・・・。 自民党の比例区最終公認は前回も前々回も5月の中頃だった、もう私の公認は無いと腹をくくった私は、忙しいとアポさえもらえそうになかった中、5月17日の午前9時45分ごろ、伊丹空港で亀井静香国民新党代表代行に会った。彼が車に乗り込むまでの僅か7~8分の立ち話であったが、 「我が党は自民党と戦ってきた政党だ。自民党で公認を断られた人をハイどうぞ、と仲間に入れるわけにはいかない。」 と、ケンもホロロの対応であった。 道楽息子が勝手気ままに適当にウロチョロして自分の元へ帰ってきた。 「よう帰ってきたな。よし、一緒にやろう!」 というぐらいの返事が返ってくると思っていた私は愕然とした。 「亀さんすっかり変わってしもうた。もう昔の義理や人情の人ではなくなった。さようなら亀ちゃん・・・。」 空港からの帰り道、亀井先生が酔うと私たちの前でよく唄っていた、演歌「兄弟仁義」を、私は一人口ずさんでいた・・・。 ♪親の血を引く~兄弟よりも~堅い契りの~義兄弟~♪ 政党公認による、参議院全国比例区での出馬の道は断たれた・・・。 今夏の参院選を、政治家として「最後の戦い」と位置づけて活動してきた私にとって、残された選択肢はもはや一つ。 長い雌伏の時を支えて下さった多くの支持者の支援に応えるべく、そして私自身の「男の一分」として、近年の理不尽な自民党政治を正す、最後の闘い。 私は、参議院議員選挙に大阪選挙区から、無所属で出馬することを決意した。 ※ここをクリックすると、候補者調整の確認書がダウンロードできます。(PDFファイル) なお、PDFファイルをご覧になるには、Adobe Readerが必要となります。 #
by osaka884
| 2007-06-30 15:26
| 連載 「男の一分」
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